つながらない かみ合わない
どうにもかみ合わない指導医と研修医の姿は企業における
"若手育成における課題"の縮図と見えた。
リーダーと呼ばれる立場にある人なら一度はもどかしい想いをしたことはあるだろう。
ドラマにおけるギャップは現実に起きている。
「これで合っていますか」
接客の最前線で働く友や企業で育成担当者をしている複数の知人が
「今の若手は○をもらいにくる」と口を揃える。
実際、責任のある仕事を任せようものなら、「荷が重いので辞めます」と言い出す有様で
かかわり方に工夫が必要だとも聞く。
訊ける相手が居るうちは、間違いなんて大した問題にならないのに。
飢える=成長
私が社会人デビューを果たしたのはもうふた昔近くも前ことだが、
「見て覚えろ」「自分で考えろ」「考えて行動しないと何も手に入らないぞ」
これが暗黙のうちにあった。ある程度までは見て覚えて、答えまでは教えてもらえない。
「自分でたどり着け」という空気があった。
それはつまり、受け身であることが許されないことを意味していた。
今ほどパソコンも携帯も普及していなくて「知りたい」が簡単には満たされなかった。
想像する前に用が足りてしまうことはなく、行動の原動力になっていたのは、
好奇心とか、知りたい、わかりたいと切実に思い『飢える経験』だった。
そのもっと前を振り返ると私は子どもの頃から恐ろしいくらいの"なぜなぜマン"だった。
目の前のこの人は今、どうしてこうしてやっていられるのか?
どんな苦労を重ねて、辛いことはどうやって乗り越えてきたのか?
いつも気になったし、知りたいから、素直に口に出していた。
私が若手と呼ばれた時代は怖~い大人の目が光っていて、有難いことにその大人は
拙い質問にしっかり答えてくれた。"人間"がいた。
その上に今の私の"なぜなぜ"は成り立っている。
素敵な人、アイディアをどんどん出せる人、人を楽しませることの出来る人。
そうなった秘密、あり続ける秘訣、どんな時に泣いて、どんな時に喜びに満たされるのか
知りたくて仕方がないし、それは今も変わらない。








